そのひのことごと

平和に生きたい個人の個人による覚書なのでできれば優しくしてほしい

HiGH&LOW THE WORST 村山と轟と楓士雄と『頭』という存在のこと

HiGH&LOW THE WORST、やっっっとちゃんと2回目を観れました。ずいぶん待った……長かった……。(1度目は完成披露で観た)(スクリーンがえらい位置で集中して見るのが大変だった)

いやーーーーーーーーーーーーーHiGH&LOWでしたね!!!!!!

シリーズを重ねるごとにブラッシュアップされて、常に先へと進んでいるのに、同時にこれまで積み重ねたのものの焼き直しでもあり、コラボとしてもきちんと成立していて……というのはもう他の人が散々話しているかと思うけれども、そしてこれからする話も多分もう誰かしているだろうけれども、主に轟くんの立ち位置とかの話をします。

 (これを読もうという人は多分もう3回くらい観ている人だと思うので普通に内容に触れます)

 

 

めちゃくちゃ良くできている、めちゃくちゃに最高な本作なんですが、初見時のエンドロールでもうずたぼろに放心してたんですよ。
まさかこんなにも明確に鮮烈に「あっもう帰ってこないな」ってわかるような『卒業』を突きつけられると思っていなかった。
村山の卒業のことは、それこそザムくらいからずっと頭にあって、鬼邪高スピンオフをやるならその話になるだろうとも思ってもいたけれど、それでもものすごい寂寥を感じた。
たぶんどこかで、卒業っていっても形だけみたいな。なにかあったらすぐ駆けつけるような。OBとしてその存在をぐいぐい見せつけてくるような。そういうのを想定していたのだと思う。
そんなことはなかった。どうにもこうにも『卒業』だった。さすがHiGH&LOWだった。映画として、HiGH&LOWの道筋として、どうにもこうにも正しくて、だからこそやりきれなくて寂しかった。

そんでなにが一番寂しいかって、村山がいなくなることじゃなくて、「ああ、村山はもう轟とは喧嘩してくれないんだろうな」ってことだったんですよね。
あんなにも彼のことを追いかけていた轟を、そんなにあっさり置いていかないでほしい。どうにもこうにも勝ち逃げである。大人はずるい。なんでだ。どうしてだ。なぜ青春時代は永遠には続かないんだ。あっこれ多分龍也が店やるとか言いだしたときの琥珀の気持ちだ。琥珀さん……!!!

って思ってたんですよ1回目は。

いや今もちょっとは思ってるんだけど。2回見たら村山は轟を置いていったんじゃなくて、轟(を筆頭にした全日)が成長したのを見届けたから卒業したんだな、って腑に落ちたような気持ちでいます。

そもそも、Episode.Oで楓士雄が突然主人公面で出てきた時点で「え?」って気持ち、ちょっとはあったじゃないですか。あったんですよ。メタでいえばLDH主導のプロジェクトなんだからまあそうなるな、って気持ちもありました。(良い悪いじゃなくてね)*1

仕方のないこととはいえ、村山率いる定時と、轟率いる全日が並び立つ図を見たかった。

でも、それはあくまでファンの思う「見たい」であって、これまで「継承」「進化」「永遠ではなく無限」を提示してきた『HiGH&LOW』にとって、そこに留まってはいけないし、いられない。そういう意味で、この展開は圧倒的に「正解」だったのだと思います。

ずっと駒ではいられない問題

これを書いている人間アラサーなのですが、最近なんかちょっとばかし仕事で責任ある立場を任されることが増えてきました。(突然の自分語りだけど関係してくる話なのでしばし耳を貸してほしい)

嫌なんですよ。そこそこ真面目に仕事してたかもしれないけど、期待してもらうのはありがたいけど、責任とか負いたくないし、他人の面倒も見たくない。私は言われるまま、言われた通りのタスクを片付けて、自分が生きられる分だけの金銭を受け取り、つつましく暮らしたい。

でもまあそうも言ってられないのもわかっている。人は経験や力を積み重ねると立場も変わってくるわけで、それ相応のなにがしかを背負うことになってくる。

そんで人を束ねる側になり、プログラマなのにプログラムしないとか、デザイナーなのにデザインしないとか、そういうことになってきたりもする。本来そこは切り分けたほうがいいんだけど、今の日本では、その道に精通した人がそのまま偉くなって、周りを束ねることになるのが多いよね。

でも「その仕事ができる」のと、「マネジメントができるか」って本来全然違う話なんですよ。

察しがいい人は話の流れにお気づきかと思いますが、轟洋介の課題はこれで、彼はもうはちゃめちゃに仕事ができる=喧嘩が強いわけです。だけどそれだけで人を束ねられるかどうかといえばそうではない。そしておそらく彼は別に人を束ねる気などない。なぜなら彼はこれまで、「自分が強くなりたい」、ただそれだけだったから。もしくは「誰より強い人間がいれば、それ以外の人間はそれに従わざるを得ない。だからこそ態度で示さねばならない」と思っているから。

もちろん轟個人、彼一人の生き方としてであれば、それでいい。でも『鬼邪高校』としてはよろしくない。たった一人でできることには、その一人がどれだけ強くても仕事ができても、限界が来てしまうから。

井の中の蛙

『DTC』で物理的に「SWORDの外」を描いたのに続いて、『Episode.O』『THE WORST』では概念として、「この世界には外がある」ことを強く突きつけてくる。

それは鳳仙や鈴蘭もそうだし、鬼邪高では圧倒的な強者として君臨する村山が、アルバイト先では下っ端で、自分より年下のオロチ兄弟相手にも、敬語で腰を低く接せねばならないことにも表れている。

あそこちょっぴりショックじゃないですか。俺たちの村山さんが……!って、惨めさに似た居心地の悪さもあったりするんだけど、いっても彼は高校生で。そこを出てしまえば「当たり前」のことであって。全日の面子があんなに熱く争っている『頭』は、鬼邪高というちっぽけな枠の中の存在でしかないことを伝えてくる。

そして村山は、たぶん誰よりもそれを知っている。

楓士雄はじいちゃんから「井の中の蛙」について諭されるけれど、全日の子たちはおそらくまさに井の中の蛙で、その外に想像が及んでいない。一方村山を筆頭とする定時は、SWORDや九龍との戦いを通して「外」(=今の実力の更に上、あるいは仕事や夢を叶えるといった、喧嘩の強さという枠組の外の世界)に目を向け、だからこそ、そちらに羽ばたこう=卒業しようとしている。『THE MOVIE』での琥珀の葛藤を経ている私たちに、それを止めることはできない。

コンテナ街の抗争についていった轟は村山が外に目を向けているのに気づいていて、だからこそ村山を倒したい。外にはもっと強いやつらがいっぱいいて、そいつらに勝つためには、まず村山を倒せないと話にならない。(しかも既に村山は喧嘩以外のなにかを視野にいれている)

でもさっきも言ったとおり、一人でどれだけ強くなっても、一人でできることは限界が来る。村山を倒したってその先がいる。あるいは、「もっとずっと、大きい波がやってくることがある」。*2

なにより定時と違って、全日にはなかば強制的な卒業が待っていることが示唆されている。*3  彼らはいつか井戸の外、拳以外の尺度で生きる場所に出ていかなければならない。

されど空の深さを知る

村山良樹は、奇跡的な『頭』でした。それは彼の強さもそうだけれど、彼が「井の中の蛙」を極めた結果「空の深さを知」ってしまったから。

かつて(S1以前)の村山は、轟と同じで、強さを求めるだけだった。「拳ひとつで成り上がる」。強さの証明、あるいはテッペンを取ることだけが目的だった。でも当時の「外」であるところのコブラと戦ったこと*4で、彼は新たな世界を見ると同時に、自分が『鬼邪高』を背負っていることに気づかされる。

多分なんだけど、コブラと村山の強さは本来同格で、あのときは「仲間を守る」というコブラの目的意識が押し勝っていて、それが村山には欠けていたんですよね。(仲間云々という理由自体よりは、振るう拳に信念があるか、みたいな部分で)

村山は「ただ誰よりも強くありたかった」自分が、結果として「鬼邪高の看板を背負う」ことになったとようやく気づく。しかし、その時点ではそれを疎んじてさえいる。
『頭』っていうのは、単純に一番強いとか偉いとかいうことでなく、彼らとなにをするか、どう生きるかってことでもある。自分が強いってだけで、自分より弱い人間を抱えて、その責任を負わなければならない。それらはときにひどく重くて、面倒くさかったりもする。それを疎んじる村山の世界は、テッペンになっても空虚なままだった。*5

で、この時点でまだ村山は気づいてないんですが、看板なんて強いからといって容易に背負えるものじゃないんですよ。鬼邪高には百発の荒行っていうわかりやすい儀式はあるけど、それをクリアしたからって人の心まで掌握できるわけじゃないからね。強さで一番(=ボス)になることと、『頭』(=リーダー)であることは本質的に違う。*6

けど、結果として、村山は両方の意味で『頭』だった。これが村山と轟の違うところなんだけど、村山は荒行を介して、本人も意図しないところで、本当にたまたま、皆の心をつかんでしまっていた(そこに情熱があったからだ)。だからついてきてくれた。『頭』でいた。それは稀有なことだった。強いからといって人がついてくるわけじゃない。なのに、ついてきてくれるやつがいる。だったらそれに応えなきゃいけない。得意かどうか、やりたいかやりたくないかでなくて、応えたい。応えることで変わる世界がある。村山にそう自覚させたのは、他でもない轟(かつての自分と同じ存在)との拳の交わり。*7

村山は本人がめちゃくちゃ仕事ができて、マネージメントの素質もあって、それに目覚めるきっかけもあって、それが両立できた。でもそんな人材そんな簡単には転がっていない。でも、それができる人間が率いていかないと、「外」で大波に襲われたとき、鬼邪高生はやっていけない。

 

楓士雄にあって轟にないもの

『Episode.O』で突然現れた楓士雄は、持ち前の明るさや人望でもって、轟が踏み固めてきた足場をかっさらっていくようにも見える。
村山はわざわざ轟に、おまえが持っていないものをあいつは持ってるみたいだ*8、と煽りさえする。
人望ってそんなに大事?って気持ちにもなるけど、人望っていうのは「結果」であって、後からついてくるもので、楓士雄には人望を集めるだけのなにかがあった。

それを解体すると、人好きのする本人の資質と別途見えてくるのは「自分より強い人間がいる事実を受け容れる」「自分より弱い人間も認めて導く」という姿勢で、それは轟にも、かつての村山にも欠けていたもの。そしてそれは、「井の中の蛙」でいたら見出しづらいことでもある。

轟は「格下には興味がない」*9生き方をしてて、けれど世の中は広くて、外には自分より強いやつなんて無限にいて、その生き方ではやがて消耗していくだけで、必ず倒せないものが立ちはだかる。村山が疎んじて、そして案じていたのはそういうところ。

彼が『頭』になるために必要なのは「世の中には強さ以外の尺度があると知る」「強さに関わりなく他人を認める」ことなのだけれど、それは村山がどんなに伝えようとしても伝わらないんですよね。 なぜなら村山は轟より強いので。轟にとって村山の発言は強者の言い分なので、そこが混ざってしまって伝わらない。

そしてそれを理解させたのは、他でもない楓士雄だった。

轟はずっと、「誰よりも強ければ周りも認めざるを得ない」「人がついてくるのは結果であって目的ではない」と思っているからあの態度を貫いていて、実際そういう姿を認めて惹かれてついてくる人間はいる(辻や芝マン)。ただしその生き方を理解する人間は少なく、それでいて楓士雄はその隙間に入ってきた。

まったく別の生き方をしていて、自分を倒そうと狙っている(轟のほうが格上だけどまだきちんとやりあっていない)人間が、先んじてこちらを格上だと認めたうえで頼ってくる。楓士雄が、轟の孤高の強さと生き方を認めていて、だから頼る。そういう認められかたと頼られかたをしたから、轟は彼に手を貸して、やっと村山が言っていた言葉の意味の欠片を理解する。

今の全日で突出しているのは、「一人めちゃくちゃ仕事ができるけれど、同僚のことを気にかけない轟」と「自分より仕事できる人間がいることを知っていて、周囲にその力を借りに行ける楓士雄」で、轟は仕事ができて成果を上げれば結果がついてくると思っている(実際ついてくることもある)けれど、それだけではどうにも限界があるし、かといって楓士雄も本人が更にもっと伸びないと人間力だけじゃ限界があって、それでも彼らがチームになれば、今すぐもっと高いところでやりあえる。

去りゆく村山と轟の反抗

鳳仙戦で気づきを得た轟は、牙斗螺戦では自ら手を貸しにやってくる。この時点で彼は既に『頭』の資質を手に入れている。それだけでも十分なのに、楓士雄も他のみんなもいるわけです。

彼らの戦いを見て、大人は大人のけじめをつけて、そこからまた校内で幾度か繰り返されただろう喧嘩の成り行きを見て、村山は卒業を決めたんだと思う。

楓士雄は強くて人望があって魅力的。でも村山がより見込んでいるのは楓士雄じゃなくて轟。それは轟だけが村山を呼び捨てにしてももう誰にもつっこまれなかったり、轟に直接足りないものを指摘してくれたり、楓士雄がタイマンを申し込んだときの反応なんかにも表れている。

楓士雄が天性の気質として持ち合わせている輝きは、村山さえ持っていなかったもので、しかしそれゆえ楓士雄はきっとこれからも、ただ独り高みを追いすがる孤独と焦燥の先にある境地を知らない。
村山はたぶん、他の誰よりも強く、独りで自分にここまでくらいついてきた、かつての自分を見るようだった轟に、成長したうえで『頭』になって欲しかった。

でも、立ち返ってみたときに、そもそも論として別に轟はリーダーとしての『頭』になりたいわけじゃないんですよね。*10  看板背負いたいわけじゃなく、誰よりも強くありたいだけである。*11 彼としてはそれでいいし、そういう孤高の生き方だって容易には真似できないし、とても強くて美しい。

だから轟は『頭』に「なった」んじゃなくて、楓士雄が強くなる(少なくとも鳳仙に勝てるようになるくらい)まで「預かった」んですね。しかも「早く強くなってもらわなきゃ困る」とさえ言っている。
そう、誰よりもめちゃくちゃに仕事できる男が、必ずしもマネジメントにまで精出さなくていいんですよ。むしろ彼がその技能を存分に活かせる環境になるのであれば、他人に任せた方がずっといい。第一思い改めた轟が求心力を身につけて、集団を率いる『頭』になってるの、別に見たくなくないですか!? 轟洋介に求めてるのはそういうことじゃないし、そういう存在じゃないからこそ魅力を感じて惹かれていたのだ。(個人の感想です) 

話がそれたけど、そういうわけで、轟はやっぱり本質的に『頭』になる気はない。自分はただ誰よりも強い存在で在り続けて、『頭』はいつか楓士雄に任せる。
だからこそ、轟が『頭(=自分)』より弱い存在をどう扱うか、自分より強い存在にどう立ち向かうかを理解しているかどうかって余計大事で、わかってなくてできないのと、わかっていてやらないのは全然違う。
前者が後者になるまでの物語でもあったのが『THE WORST』で、それは遂に勝てなかった村山の願望に対しての、彼なりの反抗なのだと思います。

 

はーーーー面白かったですねHiGH&LOW THE WORST!!!
そんでここまで書いて注釈のためにEpisode.Oを見返したら頭の中でこねくり回してたこと全部本編で直球にそのまま描かれててびっくりしちゃったよね!なに見てたんだろう!書いた意味あるのかわからなくなってきたけど書いちゃったから出します。

 

あとパルコのあたりで描かれた、社会人にちょこちょこ襲い掛かる理不尽の話、あれ現実でも本当によくあるし、一回目は飲みこみ切れてなくてもやもやしてたんだけど、図で見て実際作ったらイメージ違うなんてざらにあるし、仕事としては「客が満足するものを提供する」のがゴールだし正解なんだよね。しかもちゃんと追加で対価払ってくれてるからぐうの音も出ないよね。

現実で起こったときには「言われたとおりにやってるのになんでだよ」って、きっとこれからも思うし、やりきれない気持ちになるけど、最終目的を履き違えるなってこととか、そこに付随する価値だとか、ただの理不尽じゃないってことをさらっと描いてたのも含めて、とても社会人讃歌だな……って思いました。

ましたけど、ああーーーーーーーーーーーー仕事したくない!!!!!!!責任持ちたくない!!!!!!!!!!!!

それでいて、多くの人の仕事の上に成り立っているこの作品を、どうにも愛して尊く思ってしまうのでした。

鳳仙幹部でDTC(Youtubeのほう)みたいなの無限に観たい。

*1:しかも実際観たらそりゃもうべらぼうな魅力による説得力がすごいのずるいですよ。

*2:Ep.O-3:楓士雄と祖父の会話

*3:Ep.O-6

*4:S1-3

*5:S2-8:「成り上がった先になにがあると思う?」「名誉と栄光」「んなもんねぇよ」

*6:Ep.O-5:村山と司の会話

*7:S2-8.村山を『頭』として覚醒させたのは、先達としてのコブラの背中と追ってくる轟

*8:THE WORST:台詞うろ覚えなので申し訳ない

*9:Ep.O-5 「まわり見えてる?」と諭す村山との会話 / 村山だってS2-7時点ではそんなに見てない

*10:とはいえ彼も『君主論』など読むくらいにはノブレスオブリージュを果たそうとしていたので満更でもなかったのかもしれないがそこで君主論(「民衆と言うものは、頭をなでるか、消してしまうか、そのどちらかにしなければならない」と語る)を選んでしまうそういうところだぞ轟洋介

*11:余談だけど鳳仙の頭が佐智雄だと気づいた楓士雄に「どうした?」って言う轟の温度感、あれたぶんあの時点で重ねて事情を問いただせるだけの洞察力があるのに流してるんだよね……。彼は強いと噂の鳳仙と戦いたいので……。(そして向こうから来ない限りは彼個人に戦う理由がないので……)