そのひのことごと

平和に生きたい個人の個人による覚書なのでできれば優しくしてほしい

30年生きて両親に幼少期の復讐をする

たまになにか書こうと思いながら半年以上も放置してしまった。

引きこもってばっかりで話題もないので、2年も前の日記を書くことにする。書きたいときに書くブログなので。

昔からあまり物のやりとりをしない家だった。サンタクロースはプレゼントをくれるけど、誕生日プレゼントは特にない。逆にいえば、必要なときに必要なものを与えてもらえて、そうでなければ叶わないだけの、裕福かつ真っ当な家だったのだと思う。

こっちも母の日と父の日に花を差し出すことはしていたけれど、大学進学で上京してからなにもしなくなってしまった。我ながら薄情な娘である。

そんな私は何故か幼少期から自分は30歳までに死ぬと思っていた。
別に大病を患っていたわけでもなんでもないのだけれど。
25を過ぎたあたり(遅い)で、これは死にはしないだろうなと思ってからも、なんでか30という歳は、自分の中で20よりもずっと重い区切りだった。よくもここまで生きましたねという感慨があった。

そして私が30になる年、両親は揃って60になるのだった。還暦である。
還暦ってたぶん世間的にはかなり大きなお祝いとかをやるのだと思う。
親戚のおじさまが還暦になったときは親戚で宴会とかした記憶がある。
まして父は定年を迎えるのであった。(母は自営業なのでバリバリ現役である)(父もその後再就職しましたけど)

いくらそういうことをしない家とはいえ、さすがになにかしなければならないのではなかろうか。*1

旅行とか食事会とか半年くらいぼんやり考えてどれも気のりせず(諸事情で予定を合わせるのが難しいということもある)はたと思いついた。

 

あっ写真撮ろう

記念写真を撮ろう。よい。とてもよい。しっくり来る。両親が揃って同じ年に同じ区切りを迎えるというのにも合っている気がする。

ここに至るまでには、写真嫌いの自分がコミックマーケットに足を運んだ結果コペルニクス的転回を迎えたという別エピソードがあるのだけれど、今書くと長くなるので割愛することにして、地方住まいの両親に上京予定がある日を押さえ、さっそく新宿伊勢丹の写真館を予約した。

伊勢丹写真室。響きが良い。既に勝利が約束されている趣がある。

というか、かつて就活のときに証明写真を撮りに行って(本当に本当に嫌だったのでそれくらい発破をかけねばならなかった)、流石の品質を知っていたということもあったので安心できた。親にも意図や価値が伝わりやすい。ブランドというのはそういうものだ。

珍しくかどうかはわからないけれど、どちらかといえば父のほうと親しくつきあっている娘なので、そちらを介して段取りを整える。反応を心配していた母のほうも、それなりに乗り気らしかった。どうやら自分で美容室を予約したらしいので、二重の意味でほっとする。そこまでするべきか悩んでいたのだった。自分の懐に響かないのは、なんだかんだでありがたい。(本当に薄情な娘)

 

そういうわけで当日

仮面ライダージオウの予告に門矢士が出てきてテンション上がりすぎて遅刻しそうになった。(30歳児)

両親とは直接写真室で待ち合わせ。父はもう来ていて、母はまだ美容室。受付の椅子ではいろんな人たちが順番を待っている。少し遅い七五三が主ながら、受験用と思しきご家族、成人式の前撮りっぽい振袖姿etc。

写真館、そもそもあまり行く機会のない場所だけれど、それでも節目節目に訪れることはあって、だけど今までずっと撮られる側でしか来たことがなかったな、ということにふと気づく。急に不思議な気持ちになる。私は今日、写真を撮られるのではなくお金を払うために写真館に来ている。

そんなことをぼんやり考えていたら、隣の椅子に座っていた見知らぬご家族の御母堂が御子息に「今日も笑顔で抜かりなく」と金言を授けていて、衝撃にも似た感銘を受けた。伊勢丹の……写真室……!ハイ・ソサエティー……!

そうこうしているうちに母が来た。元から小食の上に低血圧の母は、朝食を抜いてやってきて、どんどん血糖値が下がっていき、お化粧してもらう前になにか食べればよかったとふらふらしていた。大丈夫か。

そんな母はそれなりに身づくろいはしていたが、普段ノーメイクで働くいつもの母とあまり変わりなかった。私の母は美しい人なのである。

 

そして撮影

伊勢丹写真室は1ポーズごとに撮影料金がかかり、別途プリント料金と台紙料金もかかるシステムなので、予約時にあらかじめざっくり予算を提示して、ポーズ数を決める形で対応してもらった。

両親の写真を撮りたいんですよね、という話をしたときの、にこやかな反応が嬉しくおもばゆい。ちなみに私が入らなかったのは、ここまで話に出ていない弟がいて、今回は彼がいないので私だけ写るのも変だろうという話だったんだけど、結果的にこれは大正解だった。

一般的に、ごく普通に生活してきた還暦の人間は、写真に撮られ慣れてなどいない。そして相手はプロ中のプロである。なんせ伊勢丹写真室である。そしてスポンサーは私である。

これはたいへんとてもすごくたのしい。

「どのようなお写真にしましょうか」とにこやかなスタッフ氏。
当然プランなどなく「どうしましょうか……」としどろもどろの両親。
すかさず「皇室写真みたいに仲睦まじい雰囲気でお願いします」と無茶を言う娘。(怒られるよ)

まず、それまで七五三対応に追われていたカメラマンが、我々がスタジオに入った瞬間に、視線誘導用のテディベアを無造作に投げ捨てた時点で面白かったのだけれど(大量の予約を捌くためにスピード感は大事である)、そのプロに「もう少し近づいて」「肩に手を置かれてください」「片足少しあげてみてください」などと怒涛の注文を出され、照れも戸惑いも考える暇もないまま従わざるを得ない両親の姿、だいぶ面白い。

自分の稼いだ金の力で、両親が他人の意のままに操られ、日常生活で見たこともないポーズをとり、写真に収められている様を眺めるの、妙な嗜虐心が満たされていく。

大学の卒業式後に父がどうしても写真を撮りたがり、どしゃぶりの雨の中むちゃな移動をしたこととか、成人式の前撮りが女将っぽいと言われたこととか、毎年旅先での写真を年賀状にされていたこととか、七五三のとき床に這いつくばって泣きわめいていた(記憶にない)ことを未だに親戚中に酒の肴にされるとか、そういうことが走馬灯のように思い出された。

そういうの、自分が親になった日には、する側になるのかなぁ、と思っていたけれどそんな予定もなく、しないまま人生終わるかもなぁ、とぼんやり考えたこともあったけれど、親にされたことは親にしかえせばよかったんだなぁ。

別に遺恨があったわけではないけど、今までの人生のいくつかのなにかがふっと解放されて行った気持ちがあった。しなければわからなかったことなので面白かった。大人になっても、初めてのこととか発見というのは山ほどある。

撮影後は(大量の写真の中からプリントするものを私がきゃっきゃと選んだ後に)虎屋でお汁粉を食べた。糖に満たされた母が今更元気になって笑った。

ちなみに撮影料金(3ポーズだったかな)と、4枚プリントして台紙(お見合い写真でよくあるあれ)に額装してもらって、6万円くらいだった気がする。

 

あれから2年近く経つけれど

たまにそのときの写真を見てふっふふとなる。

今年は一緒に行くはずだった旅行が流れてしまって、次いつ会えるのかもわからない日々だけれど、おかげさまで私はまだ生きている。両親も。

この角度だと遺影には使えないので、まだしばらく生きていてほしい。

 

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「皇室写真みたいなの」と無茶言ったのをトリミングしたやつ。

 

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結婚して31年の夫婦がポーズひとつで少年少女みたいになるので、手叩いて笑いながら感動したやつ。二人は高校の同級生なのだった。

 

*1:万一関係者に見られたらまずいので弁解しておくけれども冠婚葬祭は都度かなりきっちりめに行われておりなにもしていなかったのはあくまで私がである