そのひのことごと

平和に生きたい個人の個人による覚書なのでできれば優しくしてほしい

2020年8月の浅草

プライベートで人と会わなくなってから5カ月ほどが経った。

正確にいえば一度だけ、医療関係の知人から数年ぶりに連絡をもらい、今生の別れでも告げられるのかもしれないと思って食事をした。結局そういう要件ではなかったけれど、次がいつになるのかはわからない。微妙な距離で、両者共にできるだけ顔を向けないようにして、別々の皿から摂る食事は、どこかぎこちなくて滑稽だった。

この5カ月の間に、間接的にCOVID-19のせいで(ということになるのだろう、おそらくは)一人の知人を喪い、胸が張り裂けそうな思いでチケットを取った舞台が飛び、改装を終えた奈良ホテルに泊まる予定が飛び、故郷は大雨でむちゃくちゃになり、しかし私の生活はあまり変わっていなかった。

元より一人には慣れている、というか、一人が楽な性分だ。むしろリモートワークが導入された結果、より生きやすくなった説さえある。気心の知れた相手とは、SNSでいくらだって繋がっているし、通勤時間と会議は減って、生活に充てる時間が増えた。

それでもストレスというのは、やはり知らないあいだに溜まっていくのだった。

意外と自分は大丈夫だ、と思って蓋をしていると、やがて時差で手痛いことになるのは2011年の春に嫌というほど学んでいる。今の自分になにが足りないのか考えて、それはおそらく非日常だと思う。今年の春先から始まった非日常は、既に日常になっていた。ここではないどこかに行きたかった。

それから少しだけ悩んで、都内のホテルの予約を取った。

一人で、誰とも話さず、人の集まる場所を避け、頻繁な手洗いを心がけるのであれば、どこに行ったってあまり変わらないんじゃないか、という気はするのだけれど、なにかあった際の物理的な影響範囲は、どうしたって気がかりなので遠出は避ける。

でもやっぱり、出かけている時点で、距離なんか関係ないよなと思う。

妥協で、言い訳で、折り合いで、良し悪しも正しさもわからないながらに、自分で選んで決めてしまった。自分なりに気をつけているつもりではあるけれど、境界なんて曖昧で、何事も結果論にしかなりはしない。防疫というものは、自己責任に留まる話でないから難しい。そういう気持ちもひっくるめて、鞄ひとつ持って家を出る。

寝間着はあると聞いたので、下着と替えのTシャツと体温計(朝夕の検温すっかり習慣になってしまった)、それだけ加えた普段使いのバッグは、後ろめたさの分だけ重さが増えたような気がする。

関係あるようなないような話だけれど、先日10年もののHDDレコーダーを整理していたら、『SMAP×SMAP』の50曲メドレーで「祝2020年東京オリンピック決定!!」というくす玉を割ってはしゃいでいる画が出てきて、不思議な気持ちになってしまった。私たちはどこで世界線を違えたのだろうか。『MIU』の9話じゃないけど、数えきれない小さな掛け違えが積み重なり続けてここに至ったような気持ちがしてくる。(志摩と伊吹は間に合ってよかった。ほんとに)

そうこうしているうち、通勤時間ほどで目的地に着いた。浅草だった。

 

浅草が目的だったというよりは、宿泊先がたまたま浅草だった、という形である。平均すると1年に1度くらい訪れる街だった。なんらかの用があって降り立つことがほとんどで、知らないわけじゃないけれど、知っているとも言い難い場所である。

日曜の午後、知っている浅草よりずっと静かで、だけど思ったよりも人がいて、少しばかりうろたえた。自分だってその一人なのだけれど、にぎやかに話しながら食べ歩きをする一団や、近い距離で笑いながらお酒を飲んでいる集まりを見ると、やっぱり少し気にかかる。

人の少ない道を選んで、宿泊先へ。


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開業したばかりの浅草九倶楽部ホテルが、オープン記念で半額になっていたのだった。

レストランと劇場(浅草九劇)までもがひとつになったちょっと色のあるホテルである。数年前、ひょんなことから建設予定地に足を運ぶ機会があって、やがてここに劇場が経ちますよ、と紹介されたときから知っていた建物なので、なんとはなしに思い入れがあった。劇場のほうは何度か訪れていたので、ホテルのほうも気になったのだ。

都内に住んでいる人間、こんなことでもないとたぶん機会がない。

受付にはアクリルプレート、チェックインは筆記ではなく、QRで読みこんだフォームに記入する形式。なるほどね、と思いながらカードキーを受けとる。

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部屋、とてもモダンで居心地がよかった。ややコンパクトなところも隠れ家のようで愛しい。

実は予約サイトに載っていた写真が間違っていて、思っていた部屋とちょっと違った、というハプニングがあったのだけれど、まあキャンペーン中だしそういうこともある。

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スカイツリー花やしき浅草寺、アーケードの屋根、迷路みたいな細い路地、ビルの窓、屋上、非常階段。テラスからは浅草の日常を見下ろせる。

ホテルに泊まりにきた、というよりは、見知らぬ街に暮らしにきた、というような趣だ。たまに見知らぬ架空の街で暮らしている夢を見ることがあるけれど、そんな感じ。私にとっての非日常が、この街の日常に溶け込んでいく。

時間と予算が許せば、なにをするでもなし1週間くらいいたかったなと思う。1週間は無理でも3日くらいはどうにかできた気もするが、そのために現実と折り合いをつけるのが面倒だった。直前でとれる有給なんて1日くらいだ。大体なんにしたって中途半端、とスキマスイッチが頭をよぎる。

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とりあえず昼寝して起きて18時過ぎ、まだ外は明るかった。

外出してまで寝ているのか、という感じだけど、そういうことをしにきたのだった。

風はほんのり秋の匂いで、それでも暑くて、転がったままiPhoneにいれたKindleで本を読んで、だらだらと食事をして、すっかり日が暮れてようやく、外に出てみる気分になる。

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もう二度と撮れないだろうなこれ。(願わくはそうあって欲しいものだ)

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夢みたいだし嘘みたいだ。

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スカイツリー、建った頃から大好きで、今見てもやっぱり好きだった。

普段は見えない場所に住んでいるので、近くに来ると嬉しくなる。あんなに大きいのに建物の隙間に隠れていて、急に壮大に現れるところとか、上のほうに雲がかかったときの光の感じも好き。

ビールでも片手に鼻歌でも歌いながら歩ければよりそれらしかったのだろうけれど、私はアルコールが(あまり)飲めない。

気づけば1時間もふらついていた。運動不足の足が悲鳴をあげていたのでよろよろ帰る。ホテルは既に施錠されていて、光量の落ちたエントランスをカードキーで開くのは、どことなく背徳感があって心が揺れた。

夏の夜だなと思った。

昼間ごろごろしてしまったので、立派なベッドなのにあんまり眠れなかった。断片的に夢を見て、忘れた。

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翌朝、夢から覚めて、立派な朝ごはん(おいしかった)を食べて、お腹がいっぱいになってしまって、ぼんやり思い描いていたフルーツサンドとか、あんみつとか、ホットドッグとか、全部諦めることにする。

最後に出てきた紅茶が熱くてとにかくたっぷりで、あと30分は動けないなこれ、と更に悟る。

8月の終わりに差しかかった月曜日、10時にこんなところで朝食を食べている人間は私だけで、店が開きはじめる商店街をぼんやり眺めていた。やっぱりまだ夢を見ているのかもしれない。このあと電車に乗ればすぐに覚めるけれど。なんなら今から仕事に行けるのだけれど。行かないけど。

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いくら平日とはいえ昼でもこれだからまいっちゃうよなぁ。

1年先も2年先もこうだったらどうしようって少し思う。(そして大いにありうるとも思っている)

あれからしばらく経って、私は特に変わりなく過ごしているけれど、それはやっぱり結果論で、かつ、変わりないからといって感染していないとも限らず、しこりみたいなのはずっと残って、けれど自分の機嫌や身体(それは精神を含む)の調子は自分で整えねばならず、職場にもたまには行かねばならず、ああ、どうやって終わらせよう。

そういうの全部抱えつつ、明日も生きる気でいなければならない。