そのひのことごと

平和に生きたい個人の個人による覚書なのでできれば優しくしてほしい

君は『あれから』を聴いたか(シンエヴァを観ました日記)

 

 シンエヴァ観ました???????????

 

 観ました。(初日に)

 具体的なネタバレをする予定はないけれど、シンエヴァ観たあとの人が書いている文章なので、観る前に一切の感情を仕入れたくない人は今読まなくていいし、別にあとでも読まなくても大丈夫です。

  あの映画を観たらみんななにかを語りたくなってしまうと思うんだけど、それを「だっさいな」と思う自分もいるんだけれど、「だっさいな」もなにもエヴァンゲリオンなんだよなにかを語らないと嘘でしょと思う自分もいて、別にさほどエヴァに思い入れあるわけでもないし、世代だって微妙に外しているのになって、そういうのひっくるめて、笑ってしまいたくなるような気持ちにもなっている。

 他人に読んでもらうために改めて書くような内容でもなんでもなくて、ああ、そういうこと気にしてるからいつのまにか文章書かなくなってたんだなぁ、それこそ14才のころなんて息するみたいになにかしら毎日書いてたのになぁと思ったりもする。私たちは大人になってしまった。

 安易に「たち」とか書いてしまった。よろしくない。私は大人になってしまった。

 『序』が公開されたころ、私は大学生で、物心ついたころからずっと、エポックとして目の前に立ちはだかりながら、タッチの差で触れることのなかったエヴァという作品に、リアルタイムで遭遇できることにそわそわしていた。エヴァとか『サクラ大戦』とか『少女革命ウテナ』とかの作品群は、お兄さんお姉さん世代の伝説、みたいな憧れがあった。言ってもたぶんリアタイのレンジから5年とかそれくらいの差なんだけど。エヴァについてはテレビ放映から10年以上が経って、既に講義で取り扱われるような世代だった。

 まさかあれから14年経つとはね。

 と言えども、そうなることがわかっていた気もするし、というか別にどうとも思っていなかった気もする。序も派もQもわくわくしながら劇場に足を運んだけれど、別に『終わり』への執着はなかったから。

 なんなら今回だって新作を観れることよりも、宇多田ヒカルの新曲を聴けることのほうが待ち遠しかったかもしれない。

 結局我々はあのムーブメントに乗っかれなかった世代なのだ、という謎の諦観はずっとあったし、結局にわかにお祭りを楽しみたかっただけなのだ。まぁこの14年のあいだに仮面ライダーディケイドとかいう物語の破壊者と出逢ってしまったことも大きいけれど。ジオウVSディケイドの門矢士くんは一体なんなんですか??????????

 

 話がそれました。

 

 とにかく、その程度の人間なのにかかわらず、こんな文章を書いている。つくづく、私は、私たちは、大人になってしまったのだった。

 ちゃっかりずるい大人になったので、上手い具合に都合と理由をつけて早退し、あっさい(浅い)観客のくせに、2時間半のうち、おそらく1時間半くらいを泣いて過ごした。

 あんなにあんなにヒッキーの新曲を、『One Last Kiss』を楽しみにしていたのに、そしてそれは本当に素晴らしかったのだけれども、劇場を出て真っ先にイヤホンを耳につっこんで再生したのは『Beautiful World』でも『桜流し』でもなく、『あれから(絶望少女達2020)』(大槻ケンヂと絶望少女達)だった。

あれから(絶望少女達2020)

あれから(絶望少女達2020)

  • 発売日: 2020/06/17
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 去年この曲を聴いて大泣きしたときと同じ種類の感情の、何倍も何倍も大きいものがあふれてこぼれてたまらなかった。

 いやしかし今ふと思い出して調べてびっくりしたけど『さよなら、絶望先生』のアニメも序と同じく2007年だったんだなぁ。アニメとびとびでしか見ていなかったけれど、『人として軸がぶれている』はどれだけ聴いたかわからない。歌詞がどうとかいうより、単純に曲として好きだったし、当時まわりのみんながよく聴いていた。らっぷびとさんのアレンジも好きだったな。懐かしいね。

 

 14年前、思春期という絶望のトンネルの出口を抜けだして、春みたいな過渡期に浮かれて踊っていた私は、もう子供でいたくなかったし、大人にだってなりたくなかった。

 ずっと生きるのが辛かったくせに、その辛さを手放したくなかった。ずっと何者かになりたくて、何者にだってなれないことを、そのとき既にわかっていた。たくさんのフィクションにしがみついて生きていて、自分が特別でないことを知っていて、それでいて、だからこそ、この感情まで手離してしまったら、どうやって自己を保てるのかわからなかった。

 のだけれども、2021年に至って、普通に生きているのよね。

  結局何者にもなれないまま、あのころの世界と戦うような感情を失くしてしまっても。夢も理想も失っても。とんでもない震災が、それも複数起こって、そのうちのひとつで故郷がむちゃくちゃになっても。かと思えばそれらとまったく関係なく心身を病んで仕事辞めても。ぼーっと一年なにもせずに過ごしたあと、流されるままに再就職したらなぜか収入が上がってそれまでの社会人生活を疑ったり、かと思ったら未知のウイルスにより世界の常識が塗り替わってしまったりしながら、ぼんやり生きているわけですよ。

 相変わらずフィクションに寄りかかりつつ、けれど手に取るものはどんどん減って、新しいものに触れることが億劫になって、鈍くなる感性に焦りを感じながらも抗えなくて、心動くことが減って、ときめくものだって減って、なんであんなになにもかもに敏感で、傷ついていたのかもわからなくなって、それでも。

 それでも私は生きているし、それでいいのだと言われた気がした。

 いろんなものを、ありとあらゆるものを失って、つまらない大人になってしまったけれど。代わりに得るものも少なくて、未来のことを考えるともうほんと暗い気持ちにしかならないのだけれど。それでも今生きていることを、あの多感な時期をサバイブしたことを、大人になってしまった自分を、大人になれたことを肯定された気がしたし、なんならこれからの人生良いことありそうな気さえしてきた。宗教か?そうかもしれない。

 こどもの気持ちを忘れるなとか、はやく大人になれとか、大人のなかにもこどもの気持ちは残っているとか、こどもにだって大人を超える力が宿っているとか、そういうメッセージは世の中にあふれているけれど。

 そしてタイミングによってはこの映画だってそのように読めてしまうのかもしれないけれど。

 今の私には、こどもでいられず大人になってしまった自分を、それ以上でも以下でもなく、ただそれだけ、ありのまま、それでいいんだと受け入れさせてくれる映画だったし、それにはこれだけの時間が必要だったよな~~~~~~!!!9年(Qから)(14年)(序から)(25年)(TVから)必要だったよな~~~~~~~~~!!!!!!!ってわけもなく走って帰りながら思った。

 14才とか19才の私がこれ観たら大人のご都合主義め!!ってもやもやしすぎてキレると思う。(たぶん)

 

 あれからいろいろあったよね!!僕らにもいろいろあったし、みんなにもいろいろあったよ!!いろいろあったけど生きてればGoodJobなんですよ!!!!(シンエヴァを観た人は須らく『あれから(絶望少女達2020)』を聴け)(「須らく」の正しい使用)

 

 数年前、『仮面ライダー平成ジェネレーションズ FOREVER』を観たときにもべらぼうに泣いたのだけれど(幼い頃からずっとそばにいてくれたフィクションたちに「僕らの存在を忘れないでね」じゃなくて「たとえ君が忘れたって僕らが覚えてるから大丈夫だよ」って表明されて泣かない人いる????)(主語がでかい)(個人の解釈です)、それでいて今もまだ全然フィクションに寄りかかって助けられている自分にも笑っちゃうけど、それで(フィクションに頼って)現実を生きていけるならそれでいいじゃないって言ってくれる作品があるから、世の中に押し流されて抗うことをやめてもいいんだよって言ってくれる作品があるから、こどもでいられなくなってしまっても大丈夫だよって言ってくれる作品があるから、そんなふうに都合よく受け取れる自分がいるから、今日までどうにか生きてこれたんだなぁと思うし、生きてきてよかったなぁと思ってしまう。

いまだに早く安らかに死にたいと思っているけど、人生にはたまにそういうことがある。

 

いま思春期を生きている子たちの今にも、未来にも、そんな作品があるといいな。 

きっとあるよね。