そのひのことごと

平和に生きたい個人の個人による覚書なのでできれば優しくしてほしい

世界の解像度が上がる瞬間 - 深緑野分『戦場のコックたち』

世界の解像度が上がる瞬間、というのが稀にある。

マップが広がる瞬間、と言いかえてもいい。

自分の中にあった点と点が繋がって、線になって、面になって、足場になって、『見える』ようになって、そこに立って初めて、その外にまた遠く果てしなく未開の土地が広がっていることを知る。

『知る』ことは、同時に無知を突きつけられるということだ。知らなかった自分を、まだ知らない自分を、そしてきっとすべてを知ることなどできない自分を。そして手元に得られた欠片だけの知を、だからこそ握りしめるときがある。

戦場のコックたち (創元推理文庫)

戦場のコックたち (創元推理文庫)

 

最近読んだ本が面白かったって話だよ。

もうどこからなにを書こうか悩んでいたらやたらポエジーになってしまった。そのまま続けても良かったんだけど真面目に書こうとしたら何日かかるかわからないからノリ変えるね。

あのねーーーーーーーーーーー面白かった。ので読んでほしい。シンプルに。

面白かったもなにも、かつて直木賞候補で、『このミス』と本屋大賞にランクインしているので、今更私が言う必要ないのかもしれないんですけど、恥ずかしながら深緑野分さんの本を読んだのこれが初めてだったんですよ。これがデビュー後2作目で初長編ってマジ? マジで言ってる?? 嘘でしょ???? 「『姑獲鳥の夏』でデビュー」以来の衝撃。

さて、『このミス』こと『このミステリーがすごい!』にランクインするってことはまあミステリなんです(安心安定の創元推理文庫だ)。それでいて戦争ものです。そう、タイトルの「戦場」は比喩でなくそのまま戦場だし、「コック」は主人公ら特技兵を指します。舞台はヨーロッパ。17歳のアメリカ人男子が、自ら志願兵として(主にお金のために)軍に入って、第二次世界大戦下のノルマンディーに降り立つところから始まる話。

戦争ものなんですよ。

自ら言うのも若干憚られるけれども、私は戦争ものが本当に苦手で、特に近代が舞台だと忌避感が強くて、できるだけ避けながら生きてきてしまったんですね。

それでも手に取るに至ったのは、やっぱりこのタイトルと、あたたかみのある表紙と、裏面のあらすじから感じた「なんかいわゆる(いわゆるっていうのもなんだ?って話だけど)“戦争もの”ではなさそうだな?」という印象と、著者の名前でした。

前回『蝶のいた庭』という本について熱く語ったんですけど、あれ読んだときに衝動のあまりパブサしてたら、「雰囲気が深緑野分さんの本に似てる」って感想を見かけて(おそらく『オーブランの少女』を指していたのだと思う)、頭の隅に残ってたんですよね。まだ読んだことない作家さんだったから、いい機会だな~って手に取った。

もうすべての人と縁に大感謝ですよ。

しかし東京創元社さんは本当にいい仕事をされる。表紙もあらすじもあまりに適切。誇張やハッタリがない。ちゃんと届くべきところへ届けるための処置がなされている。

前置きがだいぶ長くなったけど、中身は章立てされた連作のコージーミステリです。

特技兵の主人公(米国人/志願兵/コック/戦いもする)の視点で、用済みのパラシュートを集める兵士の謎とか、大量の粉末卵(そんなものがあるんだね)が消えた謎とか、そういう「戦場の日常の謎」が描かれます。

はー、なるほどこういう感じなのか、面白いな~と思って読んでたの。

メインストーリーはコージーミステリなんだけど、舞台が戦場だから、あたりまえに人は死ぬんですよね。本筋と関係ないところで死んでいく。話を盛り上げるとかでもなく死ぬ。その一方で主人公たちは、あのノルマンディーで、そしてその先で、オーブンがついてる野戦調理器を使って、ベイクドポテトとかチキンスープとかソーセージと林檎のローストとか作って、シードルとか飲んで、現地の猫を餌付けしたりしてるの。

ちょっと後頭部ひったたかれて目から鱗どころかヒレ落ちたような衝撃あったよね。

戦争って言われると、とっさにものすごい悲惨で、食べるもなくて、飢えて切り詰めて、ってところを思い浮かべがちだけど(というのはろくに学んでこなかった私だけなのかもしらんので恥ずかしい話だが)、最初からそんな状態なわけないし、兵站が整っていないと、勝てる戦も勝てないんだけど。改めて考えなくてもそうなんだけど。そうなんだけどこれ私が知ってる戦争と違う。

(昭和の終わりに生まれた私が知っている戦争などない)(戦争はいつの世も常に存在していて、なくなったことなどなくて、我々も無関係ではないに関わらず)

己の無知さとか、知ろうとしなかったこととか、想像力のなさとか、そういうものに対する恥ずかしさとかがわーっと浮かんで、いっそぽかんとして、はぁそうか、戦争って人が始めて、様式があって、体系化されてて、兵士にとってはそれが仕事で、「生活」なんだよなぁって、今更馬鹿みたいに確認していると人が死ぬ。「あっこれ戦争だったわ」ってなる。突然知ってる(※知らない)戦争になる。

自分でも何言ってんだか、伝わってる自信がまるでないんだけど、その緩急というか、そこにフォーカスすればどこまででもドラマティックに描けそうなことが、日常や生活の一部として坦々と処理されて行くところが妙にリアルで、新鮮で、そして話運びの中心を担っているのはやはり「日常の謎」で、構成がすごい。離れ業が過ぎる。しんどさはあるのに、それを嫌悪に変える隙などないまま、圧倒的に読ませる。

そんでここまでの感想は、全5章のうちまだ2章途中時点くらいの感想なの。ここからまだ3章半あるの。

章が進むと時間が進む。当然戦況も変化していく。私たちはどんどん「これが戦争であること」を突きつけられていくし、そうなってからの展開がもうすごい。『日常』を『現実』が侵食してくる。だけど、どんでん返しとかではなく、物語は常に連なっているし、流れていく。全部が全部繋がっている。(その時間は私たちが過ごす今この時間にも繋がるのだ、もちろん)

そして連作だと思っていたこの本が、確かに正しく長編だったとわかった瞬間、あまりにもストレートに打ちのめされてしまった。

それから先はもうぐっずぐずに泣きながら読んだ。あまりにも素晴らしい読書体験をした。読み終わってから、知りたい、知らなきゃ、と思ってつらい現実の歴史資料を見に行って具合悪くなりつつまた泣いたりした。

私は戦争のことをなにも知らない……。

知らなかったし、知りたくないし、知らないまま終わりたいし、だから知らなければいけないし、どれだけ知ったつもりになっても知らないままだ。

『戦争』を学ぶのが苦手なの、単純に怖さや辛さもあるんだけど、根本的に、自分が目の当たりにしたわけではない過去の悲惨な出来事を伝え聞くにあたって、どうしてもそれは誰かの主観や無意識によって物語化されてしまうし、歪んでしまうし、イデオロギーを孕んでしまうし、そういう『本当』が見えない状態で、知った気になってしまうのがなにより怖いという、自分の未熟さに依るところがとても大きい。(歴史に『本当』などありはしないのだから、その上で向き合わないといけないのにね)

なのに良質なフィクションに触れると、現実を知りたくなる。

現実は物語によって歪むのに、物語は現実を反射するし、フィクションはときにニュースやドキュメンタリーよりもずっと、真実とか確信に近いときがある。と思う。

無論、そこに書かれていることが本当かどうかではなく。そこから得られた心の動きとか、衝動とかについてが。

ああ~~~~戦争ものですよって推しかたしたくなかったのに、結局そういう話になってしまう。つまりはそういう、そうさせてしまう力のある本です。あの戦争がどうだったとか、我々はこうあるべきだという話ではなく、ただただシンプルに、2015年に刊行された、ミステリ小説です。そんで料理ものでもある。読んでて普通にお腹が空く。手元に食べものがないと悲しくなってくるし、ビスケットとかカップヌードルとか用意して読み始めたほうがいい。しかしこれ本当に日本人が書いてるの? 翻訳小説でなく??? とにかく読ませる話であるという、その一点突破だけで、今一番人に薦めたい本です。

あとみんな巻き添えに「ミハイロフ大尉ーーーーーー!!!」ってなってほしい。(なった)(なりました)

 

そしてこの本を読んだ後、続けざまに出会ったこの本で、また「私は戦争のことをなにも知らない……」と呻く羽目になり、本当はセットでこの記事書くつもりだったんだけど既にあまりにも長くなってしまったので、この話はまた別途します。

先にちょっと話しておくと、これは1989年、東ドイツに留学した日本人ピアニストの青年と、彼の周囲の天才たちと、移りゆく世界の話です。

革命前夜 (文春文庫)

革命前夜 (文春文庫)

 

私はあまりにも歴史を知らないし、戦争のことをなにも知らない。