誰?と思った人のほうが多いと思う。残念ながらそうだと思う。私も1週間前まで誰?だった。小説家である。
先日久しぶりに書店に立ち寄る機会があって、表紙買いをしたのであった。
書店というのは表紙買いするためにあると言っても過言ではないからね。(過言)
知っている本はオンラインでも買えるけど、知らない本と出逢うのはいまだになかなか難しい。ので、通常時でも本屋に行くと適当に何冊か仕入れてしまう。いわんやこの情勢下や。
そんでまあ新規開拓だし、外れてもいいやくらいの気持ちで読み始めたんですけど、まぁこれが刺さった刺さった、いや~面白かった。
これは作家買い確定だわ、早速Kindleで落としちゃお~と思ってAmazonで検索かけたら邦訳されているのがこれ1冊だったときの衝撃よ。
本国では既に4冊も出ていて、1冊目が出たのは2016年で、それが邦訳されたのが2017年で、『このミステリーがすごい!2019年(2018年末刊)』にランクインしているのにこれ1冊しか邦訳版が出ていない。
マジか。
そんなことがあるのか。
私も、私もですね、これが最新刊、いや最新刊といわずあと1冊でも邦訳されていたら、たぶんわざわざここで書かなかったんですよ。でも出てないんですよ。読みたい。読みたいんですよ日本語で。(事のあまり英語で読もうとして10ページで力尽きた)
同年ランクインのアンソニー・ホロヴィッツもピーター・スワンソンも既に2冊以上出てるじゃん!!!!*1
ということで『蝶のいた庭』の話をします。
(読んでほしいのでサブリミナルのようにリンクを貼る)
さっき表紙買いしたとか書いたけど実は嘘で、以前一回手に取ってスルーしていた本だった。裏表紙のあらすじを引用するとこうである。
FBI特別捜査官のヴィクターは、若い女性の事情聴取に取りかかった。彼女は〈庭師〉と呼ばれる男に拉致された10名以上の女性とともに警察に保護された。滝や小川があり、蝶が飛びかう楽園のような〈ガーデン〉――完全防音で随所に監視カメラが設置され、外界から隔離された秘密の温室に、彼女たちはコレクションとして軟禁されていたのだ。女性の口からじわじわと明かされていく事件の全貌に、恐ろしい犯罪に慣れているはずの捜査官たちが戦慄する。おぞましくも美しいこの地獄でいったい何が起きたのか。一気読み必至、究極のサスペンス!
すごく面白そうでは?(ここでの面白いはfunではなくinterestingの意味です)
および「えっ文庫で1,200円もするの?」という動揺にも共感するけど、個人的にその価値は充分あったと思う。*2
この時点で「すごく面白そうだな?」と思った人はここから先読まずに、購入するなり欲しいものリストに登録するなりして欲しいし、この時点でまったくピンとこなかった人は、この先を読んでも同じだと思うので、本もこの文章もスルーしてよいかと思う。
ちょっと興味が出たけど、まだ手は伸びないな、という人は、もう少しつきあってほしい。
さて、普段からミステリやサスペンスを好むので、創元推理文庫には一定の信頼を置いている。その上で、(あくまでフィクションとして、語弊を恐れず言えば)こんなに魅力的な設定あるか?と思いながら、何故スルーしてしまったかといえば、帯に書かれていた文言に怯んだのである。
初めて読んだとき、あまりの怖さにひとりで読むのが嫌になり、喫茶店に行ったほどでした。(担当編集者より)
えっ、それはやだ……。(正直)
ミステリやサスペンスを好んでいるくせに、精神が摩耗するもの、特にグロデスクな内容はあまり趣味でない。それにこのご時世、ひとりで家にいるのが怖くなるのはだいぶきつい。しかもあらすじがあらすじなので、転ぶ方向によってはものすごくつらそうである。後味が最悪だったら尾を引くと思う。
うーん……と思って棚に戻して数か月、先日急に買ってきたのは、運よく別の本屋でまた巡り合ったのと、そのとき仕事でくさくさしており、なんだか最悪の気分になりたかったからである。
これは前々からよく感じているのだけれど、人というのは自分が落ち込んだり傷ついたりしているとき、励まされるでも、慰められるでもなく、なにがしかのヘビーな物語に自ら心寄せることでしか、救われないことがある。
余談だが私は思春期の頃、この原理で『仮面ライダー龍騎』にだいぶ助けられた。(社会人になって心身を病んで休職していたときに『仮面ライダーアマゾンズ』でまったく同じことをしていたので人間ほんと変わらないなと思った)
というわけで、今ならまあそんな気分になってもいいかな、と思って読み始めたんだけど、これがどっこい、いくつか想定していた苦手な方向性とは違っていた。緩急のバランスが巧みなので、人がいない場所で読めない感じではない。(※個人の感想なので過去の経験いかんによっては駄目な人もいると思います)
グロデスクではある。凄惨であって、恐ろしく、おぞましく、むごたらしい。
ただし描写として恐れていたような内容ではなく、むしろ淡々と描かれている。
それでも行為のえげつなさは伝わるし、だからこそなのか、いっそ美しく、空虚で、幻想的で、一本の映画を観ているような気持ちになる。
大きな謎はひとつもないのに、その全容が明かされたときに「ああ……」と絶望的なまでにくるおしい感嘆が漏れ出でる。構成が卓越している。
これは、なにも持たないある少女の、静かで頑なで揺るぎない、戦いの物語だ。
物語はすべてが終わったところ――本当はあらゆる意味で始まったばかりだけれど――から始まる。
マヤと呼ばれる少女(年齢は16から22歳ほどと見受けられる)が、FBIによる事情聴取を受けている。彼女は、事件現場から保護された被害者である。
彼女はある日突然、〈庭師〉と呼ばれる男――彼は一見非常に紳士的で、途方もなく裕福で、理知的で、紳士然としており、有力者であり、慈善家の側面さえある――に誘拐され、名前も、自由も奪われて、その〈庭〉――ただの比喩ではなく、実際に花々で満ち、崖や滝さえもがあつらえられた広大な温室――で、幾年にも渡り監禁され、愛されていた。
愛されて、というのは無論〈庭師〉視点での言葉であり、実態はおぞましい性暴力である。男は少女の背に、大きな翅のタトゥーを掘り、〈蝶〉として愛でた。
それも被害者はひとりではない。〈庭〉には常に幾人もの少女が〈収集〉されており、足りなくなると〈補充〉される。
なぜ足りなくなるかは読めばわかるが、現時点でも想像に難くないだろう。
今一度くりかえすが、マヤは被害者である。
しかし、聴取を行うFBIに対して、口は重い。ただ、まったくの黙秘というわけでもない。斜に構えた態度で、皮肉を言ったり、会話をはぐらかしたり。それでいて〈庭師〉を庇うわけでもなく、態度はいつも毅然としていて、頑なである。捜査官たちは聴き取りに難儀する。(救われることに、彼らは皆、真摯な仕事人ばかりであり、彼女と捜査官たちの会話はときにユーモアに満ち、知的で、心和まされる)
彼女は一体なにを見てきたのか? そしてなにを隠しているのか? どうしてこんな態度をとっているのか?
徐々に彼女の口から明らかとなる〈庭〉の記憶は、実におぞましいばかりなのだけれども、賢く毅然とした彼女の視点と感情で描かれるので、必要以上に読者を駆り立てない。
また、前提として「既に〈庭師〉の元から助け出された」状況も揺らがず存在し、そこに腰かけて読み進めることができる。
忌むべき〈庭師〉による支配のパートは「過去の記録」として展開され、そのあいだに、「監禁される前の彼女の日常」、また「現在の取調室でのFBI捜査官とのやりとり」が差し挟まることで、事件は凄惨ながらも、物語全体は悲壮に傾きすぎない絶妙なバランスで、最終章まで駆け抜けていく。
すべてを知ったとき、あなたもきっと深い息をこぼすことになるだろう。
ということで、そんな怖いこともないので気軽に読んでくださいと言いたい気持ちはあるんだけど、いかんせん内容が内容なので、人によってはまるっきりだめ!!!!ということもあるだろうし、どう薦めたもんだかなぁ!という気持ちです。
三十年以上も生きてればさすがに「こわくないよ」と「からくないよ」は安易に信じちゃいけないの身をもって知ってますからね。
知ってるんだけど更にめちゃくちゃ話題になってめちゃくちゃ売れて続刊邦訳されてほしい……。*3 2冊目なんとこの話と同じ世界線の話っぽいんですよね…。タイトル『The Roses of May』で3冊目『The Summer Children』で4冊目『The Vanishing Season』だって……。もう絶対おもしろいじゃんそんなの……。
このままじゃこの連休なにもしないで終わるわ……っていう人は人を助けると思って良かったら読んでほしい……。もう一度貼ります……。
あとこの話と全然関係ないんだけどこのあたりも「この作家の新刊もっと読みたい!!!!!」と思い続けているのでついでに貼ります。上が刺さらなさそうだったらこっち読んでほしい。(紹介雑かよ)(そのうちこっちもちゃんと書きたい)
悲しいことに文庫落ち叶ってないのでKindleでよろしくお願いしたい。
奇譚蒐集録は最近2冊目が出ました。こっちも面白いです。
スワンソンは1冊目の『そしてミランダを殺す』が面白くてびっくりしちゃったんだけどこっちもおすすめです。